凹凸

ひとしきり足りない充実感を埋めるために出てきたときの承認欲求というのはこれまたとても扱いづらいじゃじゃ馬で、酒に溺れて判断力が鈍るときよりも、一番本能と理性が戦う場面です。溺れたことないけど。

何かしら認められたい、あわよくば相手に求められたい、という本能的に動きたい部分と、それをするためにするインスタントな行為を冷静な自分が見たらどう思うか、という理性的な部分の狭間で、何もできずに消滅していくだけの日々。

共存するということは凄いことです。
界隈が界隈なので、ものづくりをする人達と関わっていますが、2人、もしくは2人以上で継続的に活動をしてる人が周りに沢山います。絵を描く人、曲を書く人、歌詞を書く人、歌う人、楽器を弾く人、音を整える人、歌わせる人、踊る人、動画を作る人。
お互いの強い個性を認め合い、尊敬し合い、同時に自分のことも認め、お互いの好きで心地いい部分をうまく一つのものに落とし込む。その時にうまく噛み合った作品のエネルギーというのは本当に凄まじいもので、月並みな言葉ですが「2人が出会うのは運命だったんだろうな」とか、パズルのピースがハマるような、そんな感覚を得た作品たちは本当に素敵なものばかりです。

そのエネルギーや可能性の裏に、お互いを認め合い許し合って共存する、そういう運命のような関係性に憧れを抱いているのではないかなと思います。自分の性質上、それは中々できないことを知っているから、尚更。界隈の話に限らず、リアルでの生活の中で、2人でものを作っているとか、お店を経営してるとか、もっといえば付き合っているとか、結婚しているとか。

頼るのもな、という気持ちもあるけど、やってみたいな、という気持ちから、1人で全てしてしまおうという癖もあるのですが、気力も体力も追いつかないまま、ほんの少しできるくらいのスキルを溜め込んでしまう。そうして、何も誇れないまま、劣等感を覚えてしまうのは、精神衛生的によくないのも、熟知しているのだけど。
どうにかうまく、人の一定の境界線に少し足を踏み入れつつ、自分の方にも踏み込んでもらえる隙を与えつつ、うまい距離で人と関わりながら生きていかないと、だんだんと関わることが億劫になっていくこともわかっている。

自尊心も割と低めなので、自分なんかが、と思ってしまう癖に、見つけてほしいと静かに沈黙している。でも、声を上げないまま、気づいてくれなどというのは大変わがままだと思っているので、やっぱり多少、本能と折り合いをつけながら、歩いていかないといけませんね。光るものがないのなら、尚更。ものづくりに関しても生活に関しても、いつか形を成すパーツと出会えたらいいなと漠然と思いながら。寂しさや愛されたいという気持ちはいつだって根を張っている。

どうでもいいけど、共存はきょうそんと読みます。そして突然ですがミックスベリー食べたいし突然終わります。