guruguru

理想を描いているほど綺麗な人間にはなれない。根元が曲がっていたり腐っていたりするほど思った方にはいかない。なんにだってなれるかもしれないけど、全部になれるわけじゃない。光である以上闇にはなれないし、0である以上1にはなれない。


めっちゃどうでもいいんですけど、kaとcaなら字面的にこっちを選ぶ、とか、この響きならhuよりfuだな、とか、tiよりchiのほうが雰囲気が出る、とか、そういうのってとても大事だと思います。comugicoという表記が気に入っているので名前を変えることはないだろうなぁ。



淡水魚は息を殺して

【オリジナルMV】淡水魚は息を殺して【初音ミク】 

http://nico.ms/sm33409505


紫。Pことゆかりんの曲に歌詞を書かせていただきました。

色んなひとと、歌詞について、言葉についてのお話を濃密にしてから初めて書いた歌詞なので、ちょっといいものになったのでは〜?!となっております。

同時に、ペンダブを10年ぶりくらいにかったのでイラストも担当させていただきました。


家のグッピーが病気になって、尾ひれがボロボロになっても狭い水槽で泳ぎ続けてるのが、ずっと忘れられないです。


37度5分 温い真昼の夢を泳ぐ

帰ることもなく 逃げ水に惑わされてくの
絶えず餌を待つ 昨日も見たような今日のこと
喘ぐ暇もなく 離れてく泡を見つめるよ

付き纏う影法師 踏みつぶせば ほら
またひとり ここで 動かない 動けない

息を吸って吐き出すだけ
呼吸に囚われた 真水の中は
眠って 朝を待つだけ
混ざる夢と現と君の顔が

鏡と 見つめ合うだけ
歪み続ける 愛と憎を今は
笑えないなら 嘲うだけ
溺れていく  流されていくままで


40度と2分 ぼやける悪夢の中 泳ぐ
炎天下の街 絵本で見た ガラスの外
なんで?も言えない 狭い世界と君が泣いてる
だって、は言えない またそこで水草が揺れてる

止められないの眩暈 視界 回り遊ぶ
飲み込みきれない 汗ばむ 渦になる

「おとなになりたいんだ」と
ささくれを触る君の指先を
握って 目線逸らした
「助けて」を飾る口元が淡く

溶け出す 世界を汚す
腐る尾ひれ 悪化してく正夢
息を殺す 絆しあう
何処にもいけないのなら このままだね

栗花落

梅雨になってからというものの、ゆっくりゆっくり、音を立てずに雨が降る。気づいたら降ってる。お前は忍者か。


梅雨は体調があまり良くなくて、ずっと麻紐みたいなもので頭をぎゅっと締められているような感覚が抜けない。ずっと肌に何かまとわりついている感覚がひどくて湿気もあまりすきではない。でも風はどことなく涼しくて好きです。六月だって、好きで6番目になったんじゃないし、好きで梅雨をやってるわけじゃないんだろうな、と思うと、愛するポイントを作ってあげたいなと思うので言ってるだけ、みたいなところもあります。

新年度が始まり、ピカピカの春のお休みも終わり、色々気が抜けてきそうな六月は、皆さまいかがお過ごしですか?私は相変わらずぼんやりしていますが、少しずつやりたいことに手をつけては、またぼんやりしています。

自分がどれほどそこにいる意味があるのか、みたいなことを問いただされて少ししんどくなってしまったのでこうして文章を書いています。私がいない世界線だってきっと彼らはうまく笑えていたんだろうな、と思うことがたくさんあるから。私でなければいけない理由は、なんなんでしょう、なんて、私に聞くのは無粋でないですか?
私はそれを人から聞きたい。だってずっと愛されていたい。いないのと同じ、じゃいけない。シンプルに、存在していたいから、愛されていたい。浅はかですかね。

五月はあまり活動できなかったので、少しずつ重い腰を上げていきましょう。最近びっくりするほど自炊してないのもよくないですね。19円のうどんとコンビニの大根サラダとアイスばかり食べています。みなさん、これが夏バテです。季節の変わり目が来るたびに、どうやって過ごしていたのかわからなくなります。衣食住、人間関係も、身体も、それを纏うものとか、景色とか。
一年前から8760時間も経っているのです。5分前に何をどこにおいたか忘れる人間が覚えていられることは少ないなとおもいます。ポンコツ。だからこそ鮮明に思い出せることや、引っかかっているものはたぶん、私の中で大切な鍵たちです。

生活、落とさないようにしましょうね。

凹凸

ひとしきり足りない充実感を埋めるために出てきたときの承認欲求というのはこれまたとても扱いづらいじゃじゃ馬で、酒に溺れて判断力が鈍るときよりも、一番本能と理性が戦う場面です。溺れたことないけど。

何かしら認められたい、あわよくば相手に求められたい、という本能的に動きたい部分と、それをするためにするインスタントな行為を冷静な自分が見たらどう思うか、という理性的な部分の狭間で、何もできずに消滅していくだけの日々。

共存するということは凄いことです。
界隈が界隈なので、ものづくりをする人達と関わっていますが、2人、もしくは2人以上で継続的に活動をしてる人が周りに沢山います。絵を描く人、曲を書く人、歌詞を書く人、歌う人、楽器を弾く人、音を整える人、歌わせる人、踊る人、動画を作る人。
お互いの強い個性を認め合い、尊敬し合い、同時に自分のことも認め、お互いの好きで心地いい部分をうまく一つのものに落とし込む。その時にうまく噛み合った作品のエネルギーというのは本当に凄まじいもので、月並みな言葉ですが「2人が出会うのは運命だったんだろうな」とか、パズルのピースがハマるような、そんな感覚を得た作品たちは本当に素敵なものばかりです。

そのエネルギーや可能性の裏に、お互いを認め合い許し合って共存する、そういう運命のような関係性に憧れを抱いているのではないかなと思います。自分の性質上、それは中々できないことを知っているから、尚更。界隈の話に限らず、リアルでの生活の中で、2人でものを作っているとか、お店を経営してるとか、もっといえば付き合っているとか、結婚しているとか。

頼るのもな、という気持ちもあるけど、やってみたいな、という気持ちから、1人で全てしてしまおうという癖もあるのですが、気力も体力も追いつかないまま、ほんの少しできるくらいのスキルを溜め込んでしまう。そうして、何も誇れないまま、劣等感を覚えてしまうのは、精神衛生的によくないのも、熟知しているのだけど。
どうにかうまく、人の一定の境界線に少し足を踏み入れつつ、自分の方にも踏み込んでもらえる隙を与えつつ、うまい距離で人と関わりながら生きていかないと、だんだんと関わることが億劫になっていくこともわかっている。

自尊心も割と低めなので、自分なんかが、と思ってしまう癖に、見つけてほしいと静かに沈黙している。でも、声を上げないまま、気づいてくれなどというのは大変わがままだと思っているので、やっぱり多少、本能と折り合いをつけながら、歩いていかないといけませんね。光るものがないのなら、尚更。ものづくりに関しても生活に関しても、いつか形を成すパーツと出会えたらいいなと漠然と思いながら。寂しさや愛されたいという気持ちはいつだって根を張っている。

どうでもいいけど、共存はきょうそんと読みます。そして突然ですがミックスベリー食べたいし突然終わります。

春の渦中

私はアナログで、手書きでの日記も毎日(ほとんど毎日)つけているのですが、やっぱりデジタルで何かに残しておくのもいいかなぁと思って、こうしてウェブでログ(略してブログ)を書いています。完全に自分のための読み物です。


新年度が始まりましたがいかがお過ごしですか。もう4月になってしまったな、と思うくらいには、もう年始のことがおぼろげです。
あんまり私生活の話をするのもな、という感じなのですが、私はそこまで環境の変化がないタイプなので、少しぼんやりしています。いいのか、悪いのか。
強いて言えば花粉症が本当につらい。

春があまり好きではないです。春が来ると死にたいなと漠然と思ってしまうから。
それは、文字や音や視覚として具現化されることで、未体験の世界が待ち構えてることへの不安、そしてもう後戻りはできないことをグッと自覚させられてしまうからなのかなと考察しています。今の一分一秒だってあながち、新しい未体験の世界の連続ではあるんですけど。にしても、春の朗らかな陽気でそれを知らされるのは、なんだか皮肉ですね。

新生活が始まる方、環境が変わる方、きっと沢山いらっしゃると思います。世のSNSでは、最悪の場合に関するアドバイスが多く見られるせいで、余計に新生活に嫌気がさすんではないかな、と思っていて。

意味合いは変わらずとも「辛くなったら無理せずやめろ」より「辛くなったら楽しいほうに行こう」と言ってもらえて少し気が楽になったので、そういうスタンスで生きていたいなと思います。だってシンプルに、楽しいほうが人生、よくないですか?今年は春の死にたくなる気持ちも、少し薄れたような気がします。思い出したくなるような思い出や情景がまだ鮮明だからかしら。来年の今頃の私は、何をしているんだろうね。

今月やりたいことは、
・ご飯をゆっくり食べる
・春の野菜でパスタを作る
・定期圏内で気になるカフェに2軒行く

の3本です。よろしくお願いします。